【お客様の声】 外国人スタッフの定着を支える介護現場へ。地方施設が挑む、特定技能人材とともに生きる未来|林泉会様

高齢化と人口減少が進み、日本各地の介護施設では人手不足が深刻さを増しています。香川県で介護老人保健施設「グリーンヒル満濃」を運営する医療法人社団林泉会では、2024年からミャンマー出身の外国人スタッフ2名の採用をスタート。この決断を下したのが、医師として東京でも勤務しながら、施設の運営に携わる林泉会代表理事の林良宣さんです。 今回は林さんに、外国人材の受け入れを決めた背景や、現場で起きたカルチャーギャップ、そして「共に働く」ことの本質についてお話を伺いました。
「あと一人辞めたら危機的状況」——決断の裏側にあったリアル

──外国人材の採用を考え始めたのは、どのような状況からだったのでしょうか。
一番のきっかけは、人が採用できなくなってきたことです。介護職員の確保がどんどん難しくなっていて、求人を出しても応募が来ない。特に、私たちの施設は、香川県内でも人口が減少している地域にあります。
採用できたとしても、本当に数日で辞めてしまう。ある方は初日に来て、その日のうちに「やっぱり無理です」と帰ってしまったこともありました。「人が定着しない」という現実がずっと続いていたんです。
採用できたとしても、本当に数日で辞めてしまう。ある方は初日に来て、その日のうちに「やっぱり無理です」と帰ってしまったこともありました。「人が定着しない」という現実がずっと続いていたんです。
──介護報酬制度の中で、配置人数が減ることの影響は大きいですよね。
そうなんです。介護施設では、人員配置が基準を下回ると報酬が減ってしまう仕組みがあります。これは経営に直結しますし、何より現場が疲弊してしまう。
正直、「あと一人辞めたら危機的状況」という瀬戸際の状態まで来ていました。そうなると、利用者の方の生活にも支障が出る。これはもう、手をこまねいている余裕はありませんでした。
正直、「あと一人辞めたら危機的状況」という瀬戸際の状態まで来ていました。そうなると、利用者の方の生活にも支障が出る。これはもう、手をこまねいている余裕はありませんでした。
──初めての外国人の採用に不安はありましたか?
不安は多少ありましたが、抵抗感はありませんでした。東京でも働いているので、コンビニの店員など日常生活で外国の方と接する機会も多いですし。
むしろ気になっていたのは、現場の反応でした。言葉の壁や文化の違いに、スタッフたちがどんな印象を持つだろうか、と。でも、このままでは施設が回らない、「だったら、やってみるしかない」という気持ちでした。
むしろ気になっていたのは、現場の反応でした。言葉の壁や文化の違いに、スタッフたちがどんな印象を持つだろうか、と。でも、このままでは施設が回らない、「だったら、やってみるしかない」という気持ちでした。
──その後、GTNの支援を受けることを決定されましたが、きっかけはどのような形だったのでしょうか?
状況が厳しくなってきた頃に、長く付き合いのある同業の先輩に相談したのがきっかけです。私と同じように苦労していた時期があったそうで、「うちも人が続かなくて悩んでいたけれど、もう外国人を受け入れないと難しい時代になっている」と。
そう言って紹介してくれたのがGTNさんでした。あまり構えすぎず、まずは話を聞いてみたらどうか、と背中を押してもらいました。
そう言って紹介してくれたのがGTNさんでした。あまり構えすぎず、まずは話を聞いてみたらどうか、と背中を押してもらいました。
外国人受け入れに向けて、現場への「説得の日々」が続いた2年間

──実際、現場からはどのような反応があったのでしょうか?
受け入れの検討を始めた当初、すぐに現場が前向きになったわけではありませんでした。管理職である看護師長や介護主任は、「やってみましょう」と理解を示してくれましたが、それ以外の職員には、やはり戸惑いや不安があったのだと思います。最初に現場で話した時から2年間は、「説得の日々」でしたね。
──そのような中、最終的に導入を決断できたきっかけは何だったのですか?
決定打となったのは、「あと一人辞めたら危機的状況」という、制度上も運営上も限界が迫ったタイミングでした。このままでは本当に施設が回らない。そんな危機感が、ようやく現場全体に共有されていったのだと思います。
そこから、空気が変わっていったのを覚えています。いざ採用が確定すると、「いつくるんですか?」と、ちょっとしたイベントになっていました。不安が消えたわけではないけれど、「決まったからにはやろう」と切り替えてくれた現場の姿勢には、救われました。
そこから、空気が変わっていったのを覚えています。いざ採用が確定すると、「いつくるんですか?」と、ちょっとしたイベントになっていました。不安が消えたわけではないけれど、「決まったからにはやろう」と切り替えてくれた現場の姿勢には、救われました。
支援は「与える」だけではない。自立を支えるバランス

──最初の頃、外国人スタッフにどのようなサポートをされていましたか?
初期の頃は、私たちも「困っているかもしれないから」と、食材や日用品を持ち寄って支援していましたね。でも今振り返ると、善意のつもりで行っていたことが、結果的に「言えばなんとかしてもらえる」という期待につながってしまった部分もあったと思っています。
──難しい問題ですね。印象的だった出来事はありましたか?
なかでもよく覚えているのが、自転車をめぐる出来事です。彼女たちの通勤用に、職員から自転車を譲ってもらうことになったのですが、その中に電動自転車があったんです。でも、実際はバッテリーの持ちが悪くて、とても使える状態じゃなかったんですよね。
それでも、「電動自転車」という言葉がひとり歩きしてしまって…。彼女たちの中でどうしても使いたいという気持ちが強くなり、いろんなかたちで職員やGTNの支援担当者にお願いしていたようです。「なんとかしてあげたい」という気持ちもある中で、でも全部に応えることはできない——現場としても、その加減が難しくなっていきました。
GTNの担当者が間に入って彼女たちを説得してくれて、費用は基本的に本人たちが負担することで納得し、一緒に現物を見に行って無理のない価格のものを購入することになりました。今ではその自転車で遠くのショッピングセンターまで買い物に出かけたりして、すごく楽しそうにしています。
「支援」って、なんでも与えることじゃないんだなと。どこまで手を差し伸べて、どこからは本人たちに任せるか——その加減をこっちも考えていかなきゃいけない。あの一件は、私自身が一番学ばせてもらった出来事だったと思います。
それでも、「電動自転車」という言葉がひとり歩きしてしまって…。彼女たちの中でどうしても使いたいという気持ちが強くなり、いろんなかたちで職員やGTNの支援担当者にお願いしていたようです。「なんとかしてあげたい」という気持ちもある中で、でも全部に応えることはできない——現場としても、その加減が難しくなっていきました。
GTNの担当者が間に入って彼女たちを説得してくれて、費用は基本的に本人たちが負担することで納得し、一緒に現物を見に行って無理のない価格のものを購入することになりました。今ではその自転車で遠くのショッピングセンターまで買い物に出かけたりして、すごく楽しそうにしています。
「支援」って、なんでも与えることじゃないんだなと。どこまで手を差し伸べて、どこからは本人たちに任せるか——その加減をこっちも考えていかなきゃいけない。あの一件は、私自身が一番学ばせてもらった出来事だったと思います。
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